大判例

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福岡高等裁判所 昭和40年(ネ)33号 判決

控訴人(原告) 三島清成

被控訴人(被告) 西日本鉄道株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人が被控訴人に対し雇傭契約上の地位を有することを確認する。被控訴人は控訴人に対し金一、五四六、三九五円及び昭和三九年七月以降毎月末日までに金三〇、三八四円を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「主文同旨。」の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、

控訴代理人において

一、就業規則第八条の解釈

就業規則第八条は社員の義務として「………その所持品の検査を求められたときは、これを拒んではならない。」としている。しかしながらこの条文は従業員に靴を脱ぐことまでを強制する根拠にはならない。同条で所持品検査を求めるというのはポケツトやカバンの中の物の提示を求める程度の意味であつて、身体検査またはこれに類することまで規定したものではない。何故なら身体検査と所持品検査とは明らかに別個の概念であり所持品検査といえば、身体に触れる必要のない方法による所持品の検査のみを意味するとみるのが社会通念である。従つて規則第八条は身体検査を含まない狭義の所持品検査を規定したものであり、かつ検査の手段としては、人に対する捜査(靴を脱がせて所持品を調べることはこれにあたる)を含まないものとみなければならない。このように解釈すれば、控訴人が所持品検査に際して脱靴しなかつたことは就業規則第八条に違反しない。

二、就業規則第八条と憲法との関係

仮に就業規則第八条が従業員に脱靴を強制しているものと解すれば同条は憲法に違反して無効である。

憲法第三五条第一項は「何人もその住居、書類及び所持品について、………捜索及び押収を受けることのない権利は、第三三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ侵されない。」と規定している。ここにいう捜索とは、一定の物を探す目的で住居の内部や所持品を点検することである。刑事訴訟法が憲法第三五条に基いて基本的人権尊重を考慮した詳細な押収捜索手続を規定していることは公知の事実である。しかして右第三五条は直接には刑罰に関する規定であるが、刑罰に関する場合のみでなく、その他の場合にも広く「準用」さるべきことは当然とされている。従つて私人間の法律関係においても、同様の基本的人権尊重の精神を以て解釈されねばならない。

ところで使用者が従業員の所持品を強制的に検査することは、憲法や刑事訴訟法及び同規則にいう捜索に該当する。所持品検査の手段として着衣を調べたり、脱帽させ、または脱靴させたりすることは捜索のうちの特殊の形態である「身体に対する捜索」ということになる。憲法はこのような基本的人権を侵害する行為を、一定の要件と手続に従つてのみ許容している。このことは基本的人権尊重を基調とする憲法の精神からみて、私人間においても当然守られなければならない。特に社会的力量の差が甚だしく、ともすれば人権侵害が行われがちな資本家対労働者の間においては、他の私人間におけるよりも、はるかに強い理由によつて基本的人権擁護を意図した憲法の精神が尊重されなければならない。従つて基本的人権を否定する如き被控訴会社の就業規則第八条は基本的人権に関する憲法第一一条第一二条第一三条第三一条第三五条などの精神をふみにじり、公序良俗に反するものとして無効というべきである。

三、私鉄経営は所持品検査を必須とするか。

被控訴会社にしてみれば、自由に従業員の所持品検査をしたり、身体検査をしたりすることができれば不正防止のためには極めて便利であろう。しかしこんな便利さは従業員の意に反してまで所持品検査、身体検査を行つてよいという理由にはならない。

被控訴会社の主張によれば、私鉄経営のみが他の企業と違つた特別の事情があるように主張するが、それは勝手な独断に過ぎない。およそ企業の従業員で会社の金銭や物品の取扱に関係しないものは殆どない。すべての企業では多かれ少なかれ、従業員の意に反して所持品検査をしたり、身体検査をしたりした方が、不正防止のためには便利な筈である。従つて私鉄以外の企業では個人の意に反する所持品検査、身体検査が許されるが私鉄企業では許されないという理由がないと同様、私鉄以外で許されない所持品検査、身体検査が私鉄企業だけに認められるという合理的な根拠もない。

結局被控訴会社は個人の意に反してまで従業員の靴を脱がせて所持品検査をする権限はない。被控訴会社がどうしても所持品検査、身体検査を行ないたいのなら従業員を納得させ、その自由意思による同意を得なければならない。その場合直接にも間接にも従業員の同意を強制することはできない。

四、脱靴に組合(西日本鉄道株式会社労働組合北九州地区支部)が同意を与えたことの法的意味

労働組合は特別の授権でもない限り、このような問題について組合員を代表または代理して会社と協定を結ぶことはできない。組合は組合成立の歴史が示すように、また労働組合法第一条が明文化しているように、労働者の利益を維持増進するためのものである。従つて労働時間を短縮したり、賃金を高めたりするためであれば、組合は特別の授権がなくしても、全組合員のために使用者と交渉することができる。だがその場合でもいよいよ使用者との間に話しがまとまつて協定を締結するときには、その可否を組合員の総意に問うべきものである。

ところで、組合員がその意に反して会社から所持品検査を受けるか否か、所持品検査を受けるとしても、脱靴までするか否かは、本来組合が組合員に代つて会社に承諾を与え得べき性質のものではない。組合員の特別の授権があれば格別然らざる限り、組合はこの種の問題について組合員に不利益なことを使用者と協定する権限を有しない。

本件以前に西鉄労組は所持品検査の際、従業員が脱靴することを認めていたもののようである。しかしながら右によつては会社が従業員の意に反してまで脱靴させることができるという効果は生みださない。しかし一方、会社が組合員に脱靴させたとしても組合はこれに抗議する根拠がなくなるだけの意味はある。つまり脱靴することに組合が同意を与えたことは会社に組合員の意に反してまで脱靴させることのできる権限を附与したとみるべきではなく、そういう使用者のやり方に組合として異議乃至抗議を申し述べないという約束をしたことになる。しかも本件については、組合が会社とこのような約束をするについて、組合員からの特別な授権乃至は承認がなく、かつ組合の同意は書面によるものではなく口約束にすぎないから、そこから生じてくる効果は法的拘束力のない紳士契約にすぎない。

五、脱靴拒否は就業規則第五八条第三号若しくは同条第一〇号、第五七条第四号第一四号に該当しない。

(1)  原判決は控訴人に脱靴すべき義務があることを前提に、上司からされた脱靴の指示を以て就業規則第五八条の「職務上の指示」にあたる旨を判示しているが、右解釈は「職務上の指示」の意味を不当に拡大解釈するものである。即ち就業規則により懲戒事由を列挙した場合には、それは労使双方にとつてひとつの法的拘束力をもつものとして罪刑法定主義に類する厳格な適用が要求される。就業規則の便宜主義的な拡大解釈は当事者の期待を裏切り、法的安定性を乱すものとして厳に排除されなければならない。

就業規則第五八条第三号は、職務上の指示に不当に反抗することを懲戒解雇事由にしている。しかしながら本来の職務執行行為についての指示ではないが、それと密接な関係のある上司の指示に不当に反抗した場合をも懲戒解雇事由として規定してはいない。

即ち電車乗務員である控訴人にとつては、乗務に関する業務命令には従う契約上の義務があるけれども、全人格的に会社に従属する関係にない以上、労働力の供給と関係のない脱靴命令に従う契約上の義務を負う理由はない。従つて控訴人の脱靴拒否は、本来の職務上の指示に違反したことにならないのみならず、本来の職務と密接な関係のある上司の指示に違反したことにもならない。

(2)  脱靴命令が「職務上の指示」に該当するとしても控訴人がそれに従わなかつたことは「不当に反抗」して「職場の秩序を紊した」ことには当らない。控訴人はその日一切の所持品検査を拒否したのではなく通常どおりの所持品検査はすべてこれを受け脱靴だけを拒否したのであり、そのとき取りたてていう程の混乱が生じたのでもなかつた。被控訴会社が事を大きくとりあげさえしなければ一般従業員はそんなことがあつたことさえ知り得なかつた程である。

もともと所持品検査の方法として従業員に脱靴を命ずることができるか否かは法的にも解明の極めて困難な問題である。組合役員の経歴を有し、権利意識に富んだ控訴人が、使用者は労働者に靴を脱がせてまで所持品検査をすることはできないという考えをもち、脱靴を拒否したとしても、それを何等合理的理由がないのに、いたずらに自己独自の見解を固執したときめつけるのは労働者に対して余りにも酷である。就業規則の中では会社の指示に従わない場合と、指示に不当に反抗した場合を使い分けている(五七条四号、五八条三号)。従つて「不当に反抗」とは単に指示に従わない場合以上のものを意味すると解しなければならない。こういう立場から控訴人の本件脱靴拒否行為を見るならば、そこに右規則にいう「越権専断の行為」があつたとはいえないし、職務上の指示に「不当に反抗」したことにも当らず、まして「職場の秩序を紊したこと」にも当らない。

六、解雇権の濫用

(1)  そもそも所持品検査でチヤージを防止するというのは、もつとも安易で野蛮な方法である。従業員の金銭上の不正を防止するためには、キツプの車内売りを禁止し、もしくは改善するなどして他に工夫をこらすべきである。この点の努力をしないで、信頼関係で結ばるべき従業員を泥棒扱いする如き会社の所持品検査のやり方には、反省の余地がある。

(2)  本件以前に、控訴人は会社側の担当者に対して就業規則第八条の所持品検査の範囲について発問したが、会社側は身につけている物はすべて所持品だと回答するだけで、まともな回答を与えていない。被控訴会社の内部にも所持品検査の範囲について明確な解釈が確立されていなかつた。被控訴会社は当然の疑問を抱いて発問した控訴人に明確な答弁をせず、理くつぬきで従業員を業務命令で引き廻そうとした。その直後本件事件が発生したのであるが、このような会社側の不誠意、不手際、不親切を考慮すると、控訴人の責任のみを責めることはできない。

(3)  事情聴取の際、控訴人に反省の色なしとするのも一面的な見方である。会社側からは納得のいく説明はされず控訴人を理くつぬきで責めるばかりであつた。そういう一面的な調査に不満を抱いた控訴人が、組合代表者立会の下で事実調査をするように要求したのは当然であり、この段階における会社側の態度は労働者の立場を全く理解しないものであつた。

(4)  所持品検査の方法として脱靴を強制することには組合幹部の一部も疑問を感じていた。たまたまそれが権利意識の特に強かつた控訴人について現実問題として発生したまでである。同種事件が他に起きなかつた主要な原因は、この頃まで靴を脱がせることが殆ど行われていなかつたためである。観点をかえると、同様のことが他に起らなかつたことは、本件による実害が殆どなかつたということによる。従つて控訴人の行為が他に波及して会社の秩序を乱したとか会社に重大な損害を与えたという場合に比べてこの事件は軽微であつたといわねばならぬ。

(5)  控訴人は自分は靴を脱ぐ法律上の義務はないと信じて脱靴を拒否した。そしてかような理解に相当の理由があることは前記のとおりである。しかしかような考え方が誤りであれば、脱靴して所持品検査を受けるにやぶさかでないことは控訴人の言明したところである。

(6)  懲戒解雇は懲戒処分としての極刑であるから、就業規則違反行為が明白かつ重大で、それ以下の懲戒処分では反省が期待されない場合に対応するものでなければならない。

控訴人はそのような反省の期待されない人物ではないし、また他の懲戒処分では効果を期待できないという事件でもない。控訴人と被控訴会社の間で解釈の対立していた脱靴拒否の法律問題について裁判所が権威ある判断を下せば一切解決すべき問題である。懲戒解雇以下の処分では事の処理に不都合を来すと解すべき何等の理由もない。

(7)  就業規則では、本件より遙かに責任の重いと思われる諸行為についてまで懲戒解雇以下の処分が認められている。

と述べ、

被控訴代理人において

一、就業規則第八条の解釈

同条によれば「社員が業務の正常な秩序維持のため所持品検査を求められたときは、これを拒んではならない」旨規定するが、就業規則中には所持品検査の方法については何等の規定がない、従つてその方法が人権の侵害を生ずる悪質のものでない限り、従業員は所持品検査受忍の義務があるところ、本件の如き方法で靴を脱ぎ、その靴の内部を検査することは何等人権の侵害を生ずるものではない。従つて同条の所持品検査を以て控訴人主張の如く、狭義に解釈しなければならない理由はない。なお、昭和三五年三月四日被控訴会社が西鉄労組北九州地区支部と所持品検査の実施方法について協議を行なつた際、「人権問題が生じた時は労使協議会で話し合う」旨の確認がなされたことは、同条に言う所持品検査が控訴人のいわゆる狭義の所持品検査でないことを裏書きするものである。

二、就業規則第八条と憲法との関係について。

元来憲法第一一条、第一二条、第一三条、第三一条、第三五条等を含む憲法第三章国民の権利及び義務に関する各規定における国民の憲法上の権利は、それ自体私人間のものとしての性質をもつもの(例えば使用者に対する関係で成立する勤労者の団結権等)は別として、一般的には国家に対する人民の権利としての性質を有するのであるから、私人間には当然には適用されない。従つてこれらの憲法上の自由乃至権利が就業規則又は私人間の自由意思による契約等によつて制限されることは、もとより自由である。

三、私鉄経営における所持品検査の意義。

被控訴会社の業種及び所持品検査の果している役割からみて、乗務員等に対する所持品検査は被控訴会社にとつて不可欠のものである。いわゆるチヤージは本件後も跡を絶たず昭和三五年度から同三九年度までの間に、被控訴会社において懲戒解雇処分を受けた人員一四九名のうちチヤージを理由とするものは、八八名に及びそのうち六一名が所持品検査によつて発見され、その中には依然として靴や靴下の中に乗車賃等を隠匿していたものも含まれている。従つて被控訴会社にとつて所持品検査は不可欠のものである。

なお、私鉄経営において所持品検査が不可欠のものであることはひとり被控訴会社のみに限るものではなく、私鉄各社において広く実施されているところである。しかして控訴人の主張は、私鉄以外では所持品検査が行われていないという前提に立つものの如くであるが、所持品検査は私鉄においてのみ行われているものではない。他産業においても多く実施されていることは、労働法令協会編就業規則集によるも明瞭であり、日立造船、日本油脂、田辺製薬、森永製菓、玉屋、大丸、岩田屋、井筒屋等においても就業規則に明記のうえ所持品検査を実施している実情である。

四、脱靴と組合の同意。

被控訴会社は前記の如く所持品検査が不可欠であるから、所持品検査を行う旨を就業規則に明記しこれを労働契約の内容としているのである。従つて労働契約の内容につき組合がその実施の方法等について会社と交渉し協定を結ぶことは当然であつて、ただに労働時間、賃金にのみ限らないことは当然である。従つて、組合は特別の授権がない限り脱靴についてまで組合員を代表または代理して会社と協定を結ぶことはできないとする控訴人の主張は的外れの議論である。被控訴会社が所持品検査を行う根拠は、就業規則第八条であり、組合との協定の趣旨は所持品検査の方法につき「原則として被検査者の身につけている物や所持品のすべてについて調べる」という従来の方針のうち靴の中の検査について具体的内容を取り決めたという点にある。

控訴人は組合が脱靴に同意したとしても、これによつて会社が従業員の意に反してまで靴を脱がせることができるという効果を生じないと主張するが、被控訴会社は就業規則第八条換言すれば労働契約それ自身に基いて脱靴を求めているのである。

五、就業規則第五八条第三号。

同号の「職務上の指示」は控訴人主張の如く厳格狭義に解する必要はない。

六、解雇権濫用の主張について。

(1)  被控訴会社において所持品検査の果す役割は極めて重要であるから、もし控訴人主張の如く、控訴人の脱靴拒否行為が許容されるべきものであれば、靴の中は所持品検査に対するいわば治外法権的安全地帯となり、靴以外の所持品についていかに厳重な検査をしようとも所持品検査は有名無実化する。

(2)  被控訴会社では、従前から所持品検査については原則として被検査者の身につけている物や所持品のすべてについて調べるという方針をとつてきたが、靴の中の検査については被検査者の感情問題を充分に考慮し検査が円滑に行われるような措置を講じ、西鉄労組北九州地区支部ともよく話し合つて、その同意を得、従業員への周知徹底を図つた後初めて実施に踏切つたものである。

(3)  控訴人は所持品検査の範囲が不明確であるから控訴人がその範囲について発問したところ被控訴会社は「身につけている物はすべて所持品だ」というだけで、まともな回答を与えられなかつたというが、一般的に見て右回答は常識上妥当な回答であり、これが例えば女性の下着を脱がせたりすることを当然に含まないことは明らかである。被控訴会社は前記の如く所持品検査に対する治外法権的安全地帯を作らないために、身につけている物や所持品のすべてについて調べるという基本方針のもとに実際には常識に基き妥当とされる範囲で実施してきた。

(4)  控訴人は昭和三五年三月一五日被控訴会社が行なつた事情調査を以て組合代表者を立会わせない会社側の一方的調査である旨非難する。

被控訴会社では、従業員の懲戒事犯が生じた際先ず会社がこれを調査したうえ、その処分案を労働協約第三三条、第三八条に基づき労使協議会を通じて組合に提案する。次いで組合は会社提案に対して事実の有無を調査し、事実に相違なければこれに対する会社処分案の当否を判断し、またもし事実に相違があれば更に労使合同の調査を行なうことになる。従つて組合が従業員の懲戒事犯について関与するのは、処分案が中央又は支部労使協議会に提案されて後ということになる。控訴人の本件懲戒処分についても、前記の手続により原則通り処理したのであるから、事情聴取の際組合側を立会わせる必要のないことは当然であり、このことは労働協約に精通する控訴人の熟知しているところである。

しかして、従業員の懲戒事犯について、会社が従業員を調査する権限のあることは理の当然であり、むしろ充分な調査をなさず本人の言い分を聞かずに従業員の懲戒処分を組合に提案することは、かえつて問題があると言うべきであり、この点について会社側に調査権限なしとする控訴人の主張は理由のないものである。

なお、事情調査の当日、実際には異例の措置ながら会社側は組合の西谷支部委員長に立会を求めているが、これは控訴人が沈黙したままで一言も発しないので窮余の策として西谷委員長をして控訴人が調査に応ずるよう説得せしめようとしたためである。然し右委員長は所定の手続に反するとして立会を辞退した。

当日控訴人は午前中は全く沈黙を続け、午後になつて漸く口を開くや、答えにならない答をして会社の調査に反抗し、この間居眠りを装つたり床にツバを吐くなどの所為に及んだのであつて、この反抗的態度が組合役員の立会がなかつたことに由来するとは考えられない。

(5)  控訴人の主張は判決により脱靴義務あるものと判断されればこれに従うというものの如くであるが、このように裁判所の公権的解釈が下されなければ上司の指示に従わないような従業員ばかりいたとすれば、その企業は秩序を維持することはできない。また被控訴会社は福岡高等裁判所の仮処分判決後事態を円満に処理するため、控訴人に対する懲戒解雇を撤回し、始末書を提出させたうえで出勤停止一〇日の処分に付しようとしたが、控訴人は右判決には出勤停止が相当と判示されているものの、一〇日とする根拠は示されていないし、かつ始末書を提出する義務もないとして被控訴会社の平和的解決の申出を拒否し、その後も会社の業務を妨害し続けている。このような従業員と雇傭関係を継続することは全く不可能である。

(6)  そもそも企業秩序は一人の違反を看過することによつて漸次崩壊してゆくものであることは、幾多の事例の示すところである。被控訴会社においても昭和三七年四月には乗務員二名が所持品検査を拒否したので懲戒解雇処分に付した。

また控訴人は本件による実害は殆どなかつたと主張するが、前記の如く、その後も所持品検査を拒否して懲戒処分を受けた乗務員を出すに至つたことは企業秩序に影響を及ぼしているものというべく、また企業に対する実害とは単に物質上の損失のみを指すものではない。

(7)  本件懲戒解雇につき西鉄労組が同意したことは、上記の各事情を充分考慮したからに外ならない。一般に従業員の解雇について組合との間に協議約款が存する場合において組合が解雇に同意したことは解雇の正当性を裏書きするものである。

(8)  控訴人は「懲戒解雇は極刑であるから、就業規則違反行為が明白かつ重大で、それ以下の懲戒処分では反省が期待できない場合に対応するものでなければならない」。と主張するが、私企業において懲戒処分の裁量権は企業維持の任にあたる経営者にあり、懲戒処分が不当労働行為その他法律違反や就業規則違反のない場合は、経営者の裁量は尊重されねばならない。

以上のとおりであるから本件懲戒解雇について権利の濫用ありとする控訴人の主張は失当である。

なお、被控訴会社においては昭和四一年一〇月一日より福岡市内を運行する電車内に現金箱を備付けて、目下その効果についてテスト中であり、同じく市内を運行するバスの一部車輛について約二年前よりワンマンカーとして事業を行なつている。と述べた。(立証省略)

理由

当裁判所は事実認定の資料として当審証人山下寛彦の証言及び右証言によつて成立を認める乙第三九号証、同第四〇号証の一、二の各イ、ロ、同第四一乃至四三号証の各一、二、同第四四号証の一、二、三、同第四五号証の一、二、同第四六号証の一乃至四、同第四七、四八号証の各一、二、三、同第四九号証の一、二、成立に争のない乙第五一号証、当審証人佐々木慎治、同種池義彦の各証言を附加したうえ、左に補足するほか原判決と同じ理由で、控訴人の本訴請求はその理由なきものと判断するので、原判決の理由記載をすべてここに引用する。

当審証人田中昭夫の証言中右認定に反する部分は前掲乙第四〇号証の一、二の各イ、ロに対比してただちに採用し難く、他に右認定を左右するに足る的確な証拠はない。

一、就業規則第八条の解釈。

同条に規定する「所持品」とは乗車賃等の不正隠匿及び領得行為を防止乃至摘発する、という所持品検査の目的から考えると、本来検査を受けるものの占有に属するすべての物件に及ぶべきであるが、検査を受ける従業員の人権尊重の見地からみて、検査の方法、個所などに制限を受けざるをえない結果、所持品検査にはおのずからある程度の制限があるものと解すべきである。しかし原判決認定の如き方法による靴中の所持品検査は不当に従業員の人権を侵害するものでないから、控訴人も右の方法による靴中の所持品検査を受忍する義務があると解されることは原判決説示のとおりである。

控訴人は右所持品検査とは身体検査を含まない狭義の所持品検査を指すものであるから、本件の如き脱靴は狭義の所持品検査の概念を逸脱するものと主張するけれども、前説示の被控訴会社における所持品検査の目的から考えると、そのようにとくに狭く解する合理的理由はない。

二、就業規則第八条と憲法との関係。

憲法第三章国民の権利及び義務に関する各規定における国民の憲法上の権利は、それ自体私人間の法律関係を規定したものは別として、一般的には国家に対する人民の権利乃至は自由としての性質を有するのであるから、憲法に規定するこれらの各条項は当然には私人間に適用されるものではない。控訴人主張の憲法上の各権利はもとより国家に対する人民の権利を規定したものであつて、これらの各権利が就業規則や契約等によつて制限され得ることは当然であつて、憲法の右規定を就業規則についても準用すべきものとなす、控訴人の見解にはとうてい左袒し難い。

なお、控訴人は就業規則第八条が脱靴による靴中の所持品検査義務を従業員に認めるとすれば基本的人権を保障した憲法の各規定の精神に照して公序良俗に反し無効である、との主張をなすものの如くであるが、本件の如き脱靴の方法による所持品検査は必ずしも人権の侵害を伴わないと認定すべきこと前記のとおりであるから、就業規則の右法条をもつて公序良俗に反する無効のものと解釈する理由もない。

三、私鉄経営における所持品検査の意義。

被控訴会社の業種及び所持品検査の果している役割から判断して所持品検査は被控訴会社にとつて不可欠のものと解すべきことは原判決の説示するとおりである。ところで成立に争のない甲第一〇号証、同第一一号証の一、二、前掲乙第四〇号証の一、二の各イ、ロ、同第四一乃至四三号証の各一、二、同第四四号証の一、二、三、同第四五号証の一、二、同第四六号証の一乃至四、同第四七、四八号証の各一、二、三、同第四九号証の一、二を精査すれば、次の如く認定するのが相当である。即ち、私鉄経営における所持品検査は一面において私鉄収入の確保乃至企業秩序維持のために重要な機能を果すとともに、他面その検査の方法如何によつては不当に乗務員に羞恥心、屈辱感を与え、或は直接に乗務員の人権を侵害し、大小幾多の悲劇をも生じてきた。このような両刃の剣をもつ所持品検査に代る企業管理の方式が存するとすれば、もとより所持品検査は廃止さるべきものであろう。被控訴会社においても昭和四一年一〇月一日より福岡市内を運行する電車内に現金箱を備付け、或は二年位前から同市内を運行するバスの一部についていわゆるワンマンカーを使用するなど、いずれも乗務員のチヤージ防止を図つているけれども、試験的過渡的段階にすぎずこれを以て未だ所持品検査に代る企業管理の方式が確立されたということはできない。

なお、控訴人は右所持品検査が私鉄のみに専属するかの如く主張するが、成立に争のない乙第五二乃至五五号証によれば、私鉄経営以外の他産業においても、就業規則中に所持品検査を定めているものの存することが認められるので、所持品検査を私鉄のみの特例であるかの如く断定するのは早計といわねばならない。

四、脱靴と組合の同意。

控訴人は「労働組合は組合員を代理または代表して会社との間に脱靴についての同意を与え得ない」旨を主張する。しかしながら所持品検査は就業規則に明示されているところであるから、その実施の方法、範囲等につき組合が会社と交渉し協約を結ぶ権限を有することは議論の余地がない。もつとも本件については書面の作成された事実はないから、組合の同意によつても労働協約としての法的拘束力を生ずるものではない。(但し組合の同意如何にかかわらず従業員に脱靴を含む所持品検査受忍の義務あることは当然である)。

五、就業規則第五八条第三号等に違反しない、との主張について。

此の点に関する所論は、要するに原判決のこの点の判断を独自の論旨を展開して非難するに帰するものであるが、当裁判所も原審の見解を支持すべきものと考えるので、控訴人の主張は採用しない。

六、解雇権の濫用について。

(1)  「会社は所持品検査の如き安易な方法によらず他に工夫をこらすべきであり、この点の工夫をなさない所持品検査のやり方に反省すべき余地がある」とする控訴人の主張について考えるのに、私鉄経営における所持品検査は現状において重要な機能を果していること、所持品検査に代る企業管理の方式は未だ確立されていないことは前説示のとおりであるから、その方法範囲につきいやしくも人権を侵害しない所持品検査が許容されることはこれを否定することができない。そして本件の如き方法をもつてする脱靴による靴の中の検査は人権を侵害しないものと判断されるから、右検査を以て被控訴会社に責むべき点があるとする控訴人の主張は採用できない。

(2)  被控訴会社が所持品検査の範囲につき乗務員の占有に属するすべての物件を含むと考えていることはその主張自体からも明白であり、前説示の所持品検査の目的から考えると、被控訴会社のこのような考え方もあながち非難することはできない。従って所持品検査の範囲に関する控訴人の質問に対する被控訴会社の同旨の回答を以て会社側に不誠意、不手際、不親切があつたとすることはできない。

(3)  成立に争のない乙第一四、一九、二〇、二二、五一号証、当審証人種池義彦の証言によれば、被控訴会社は従業員の懲戒事件が発生した際は先ず会社側がこれを調査したうえ、その処分案を組合に提案するように定められていたため(労働協約による)、いわゆる事情聴取の際は組合側を立会わせる必要なしとして先ず控訴人よりの事情聴取を開始したこと、然るに控訴人が組合側の立会を要求したため被控訴会社においてやむなく当日午後過ぎ西谷靖夫支部委員長の立会を求めたところ、同委員長は労働協約所定の手続に反するから立会できないとの理由で立会を拒否したことが認められる。

そもそも懲戒処分の前提として従業員につき、その事情を調査することは、その規定の有無にかかわらず処分の対象とされた従業員の立場を弁明せしめるためにも必要欠くべからざるものである。従つて調査権限なしとする控訴人の主張は独自の見解というほかない。そして前掲の各証拠によれば、控訴人が会社側の右事情聴取に対して反抗的態度にいでたのは、事情聴取に際して組合側の代表者を立会せしめなかつた会社側の態度にのみ起因するものと断定することはできない。右の認定に反する原審における控訴本人尋問の結果はこれを採用せず、他に右認定に反する証拠はない。

(4)  「本件による実害はなく、被控訴会社に重大な損害を与えていない」とする控訴人の主張について検討するのに私鉄経営において所持品検査が私鉄経営の重要な機能を果していることは前説示のとおりであるところ、控訴人は組合の了解事項にかかる脱靴義務を否定した。もとより被控訴会社が控訴人の本件行為により物質的損害を被つたとの点については証明がないけれども、企業秩序に及ぼす影響の点からして本件による実害がなかつたと断定することはできない。

控訴人は以上のほか解雇権濫用の主張として本件につき仮りに控訴人に懲戒責任があるとしてもその事案からみて懲戒処分としては、いわば極刑ともいうべき懲戒解雇の処分には値しないのに、会社側があえて右処分にいでたのは解雇権の濫用である、との主張をなしており、原判決の認定によると、処分の対象とされた控訴人の脱靴拒否行為が事実としては唯一回に過ぎなかったことや、成立に争のない乙第三五号証によって認められる、本件に対する同一当事者間の仮処分控訴事件においてかつて当庁が、控訴人の行為は懲戒解雇に値する程悪質かつ重大な違反行為とは認め難く、むしろ就業規則第五八条第三号違反としては比較的軽微であるから本件懲戒解雇処分は客観的妥当性を欠き、無効であつて、出勤停止処分にとどめるのが相当である、との判断を示したことなどを考え合わせると、本件につき控訴人に懲戒解雇処分をなしたことが相当であつたかどうかの判定については、きわめて慎重な考慮を要する。

よつて、当裁判所は最終事実審として原判決の認定を含む本件の情状につき、しさいに検討を加えたのであるが、運輸事業を目的とする被控訴会社においてはその企業秩序を維持し、企業成績の向上を図るために従業員に対する所持品検査が必要不可欠のものであること前説示のとおりであり、かつ、原判決に認定した控訴人の本件脱靴拒否に因る就業規則違反行為の態様、その他の情状(原判決理由第一の二の(三))にかんがみれば、右違反行為は唯一回のそれであつたとしても、戦場秩序を破壊する悪質のものであつて、被控訴会社が懲戒の種類として他に出勤停止その他の定めがあるに拘らず、あえて最も重い懲戒解雇の処分を選んだこともやむをえないところであり、これを以て客観的妥当性を欠くものということはできない、と考える。

控訴人の解雇権濫用の主張は理由がない。

よつて控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当で、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九五条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川井立夫 木本楢雄 松田富士也)

〔参考資料〕

解雇無効確認等請求事件

(福岡地方昭和三六年(ワ)第七七三号 昭和三九年一二月一四日判決)

原告 三島清成

被告 西日本鉄道株式会社

主文

原告の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

第一、懲戒解雇について

一、判断の基礎となる事実

(一) 当事者間に争いのない事実

被告は肩書地に本店を有し、陸上運輸等を営んでいる株式会社であること、原告は被告会社に雇傭されていた従業員であつて、被告会社の従業員で組織された組合の組合員であつたこと、被告が原告に対し、昭和三五年七月二一日付で懲戒解雇の通告をなし、右通告は同日原告に到達したこと、右処分は、原告が同年三月一一日午後一一時二〇分頃被告会社の到津電車営業所補導室において行なわれた被告会社乗客係河内孝徳の所持品検査に際し、靴を脱ぐことを拒否したという行為に対し、これが被告会社の就業規則第八条の「社員が業務の正常な秩序維持のためその所持品の検査を求められたときは、これを拒んではならない。」という条項に違反し、懲戒事由を規定する同第五八条第三号の「職務上の指示に不当に反抗し又は越権専断の行為をなし職場の秩序を紊したとき。」という場合に当たるとしてなされたものであること、その後被告は、同三六年二月二四日付内容証明郵便でもつて、右行為は懲戒事由を規定する就業規則第五八条第一〇号「前条第四号乃至第一四号の一つに該当しその情状が重いとき。」、同第五七条第四号「正当な理由なく会社の指示に従わず又は濫りに職場を離れたとき。」、同第一四号「その他前各号に準ずる行為のあつたとき又は服務規律に違反する行為のあつたとき。」にも該当する旨原告に通告したこと、右懲戒解雇通告当時の原告の職種は右到津電車営業所所属の電車運転士であり、原告が実際に右脱靴拒否の行為に及んだことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二) 右脱靴拒否に至る経緯

成立に争いのない甲第二号証、乙第一号証、第八号証の一、二、第一五号証ないし第二一号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙第三号証及び右乙第一九号証によつて原本の存在及びその成立を認め得る乙第二号証並びに証人坂本克己、同木村健俊及び同西谷清美の各証言を総合して考えると、次の(1)ないし(5)の事実を認めることができる。

(1) 被告会社の就業規則第八条には、「社員が業務の正常な秩序維持のためその所持品の検査を求められたときは、これを拒んではならない。」と定められているが、被告会社は、従来から右規定に基づいて、電車、自動車の乗務員による乗車賃等の不正隠匿や領得行為の防止ないしは摘発のための所持品検査を実施してきた。しかして、右所持品検査については、原則として被検査者の身につけている物や所持品のすべてについて調べるという方針がとられてきた。靴の中を調べることも右原則の例外ではなかつた。

(2) ところが、昭和三三年八月頃、被告会社北九州営業局到津電車営業所において、所持品検査の際の一検査員の態度が問題となつたことに端を発し、被告会社と組合の北九州支部との間で同年九月下旬頃から一〇月下旬頃までの間三回にわたり、所持品検査についての話し合いが行なわれ、その席上で検査の際被検査者に脱靴させることの当否も問題とされた。右話し合いの結果、所持品検査についての右従来の方針を相互に是認し、検査の際被検査者が脱靴すべきことも同時に確認された。しかし、検査の際実際に被検査者に脱靴させて靴の中の検査を実施するかどうかは、それまでも又その後も検査員による個人差があり、又場合によつて差異があり、画一的でなかつた。

(3) そこで、被告会社は、これを画一的に実施しようと企て、ついては検査場の施設面にも考慮の余地があるとして、昭和三五年三月四日、組合の北九州支部に対し、従来から所持品検査場として使用してきた各営業所の補導室を板張りにし、所持品検査はその板張りの上で行なうことにし、もつて被検査者が検査を受ける際特に指示をされなくても自然に脱靴するような仕組みにして検査員との間の感情の摩擦を和らげ、同時に所持品検査の際の脱靴並びに靴の中の検査を画一的に実施したい旨提案して、その了承と協力を求めた。右支部は同日右の提案を了承したが、その際、右支部と被告会社間で、右の提案を組合員に周知させるため猶予期間を置くこととし、同月七日から右提案のとおりの所持品検査を実施すること、会社は人権を尊重し感情に走らないようにするとともに監督者の教育は充分に行なうこと、人権問題が生じたときは労使協議会で話し合うこと等の確認がなされた。しかして、右支部は、同月四日付の機関紙「支部報」に、右了承及び確認事項を掲載し原告を含むその所属組合員にこれを周知徹底させることを図つたが、原告も当時これを了知した。

(4) 被告会社は、右の提案に先んじて、昭和三五年二月頃から所持品検査場を右提案の趣旨に沿つて改造することに着手していたが、原告所属の前記到津電車営業所においては、とりあえず同月二二日頃、検査場たる補導室のコンクリート床上に踏板三枚を敷き並べ、入口の部分若干面積を除き同室を板張りのようにし、被検査者はその板張りの上に上つて所持品検査を受けるように設備を整えた。被検査者は右板張りの上に上るときは自然脱靴せざるを得ず、検査員はその場で特に脱靴の指示をしなくても、靴の中の検査を行なうことができるようになつた。しかして、原告が本件脱靴拒否をなしたときも右の状態であつたが、踏板といえどもその効用は板張りと差異のないものであつた。

(5) かくして、右到津営業所においては、被告会社提案になる前記方法による所持品検査が、先ず昭和三五年三月七日約四〇名の乗務員に対して実施され、次いで、同月一一日の二二時から二四時三〇分までの間乗車勤務終了に引続き順次原告ら四六名の乗務員に対して行なわれた。

原告は、同日二三時二〇分過頃乗車勤務終了直後、上司たる同営業所乗客係河津三十郎から右方法による所持品検査を受けるよう指示を受け右補導室に入つたが、ドアを開くなり、同室内にいたそのときの検査員で上司たる河内孝徳に対し、「河内さん、私は靴を脱がんけんな。」と言つて踏板の上に上らず、脱靴して検査を受けることを拒否した。そこで、河内検査員は、原告に対し、会社と組合でとりきめたことであり、他の者も皆脱靴している旨告げて、脱靴して検査に応ずるよう指示すると同時に説得に努めたが、原告は、靴は私物で所持品ではない、本人の承諾なしに靴の検査はできない筈だ、検査員がいくら脱がせようとしても脱靴しない、部長、課長あるいは所長、主任が指示しても脱靴しない旨答え、ただ踏板の上に帽子とポケツト内の携帯品を差出しただけで、頑強に脱靴を拒否した。河内検査員は、やむなく右補導室の入口で原告の差出した物件を検査し且つ原告の着衣を外部から両手で押さえて調べたが、そのときにはもう次の被検査者が同室に入つて来たので、原告の方の検査及び説得を一応中止して、その方の検査にとりかかつたところ、原告は同室を退去してしまつた。河内検査員は、その後再び申請人を同室に呼び入れ、同室あるいはその付近で再三脱靴して靴の中の検査を受けるように指示ないしは説得に努めたが、最初のときと同様のやりとりがくり返されるのみで、原告の応ずるところとならなかつた。なお、それまでの所持品検査において原告のように脱靴を拒否した事例はなかつた。

甲第一号証、第三号証及び前掲乙第一七号証中以上の認定に反する記載部分は採用できず、他に以上の認定を左右し得る証拠はない。

二、懲戒解雇の効力についての判断

(一) 就業規則第八条の適用の問題

前記の如く、本件懲戒解雇は、原告の前記脱靴拒否行為が被告会社の就業規則第八条、即ち「社員が業務の正常な秩序維持のためその所持品の検査を求められたときは、これを拒んではならない。」との規定に違反するものとしてなされたものであるが、原告は、これに対し、凡そ雇傭契約というのは実質的には労働力の売買であるに過ぎないから、使用者は買入れた労働力を雇傭契約の目的に応じて処分することはできても、それを越えて労働者に対しその意に反してまで靴を脱がせ、所持品検査を受けさせるというような屈辱的行為を強制する権利はない、原告に対する本件脱靴の指示はまさに右のような行為を強制せんとするものであるから、結局これを拒否したとて右就業規則第八条に基づいてその責を問われる筋合はない旨主張するので、この点について判断する。

原、被告間の関係が雇傭契約関係であつたことは前記のように当事者間に争いのないところであり、雇傭契約というものが実質的には商品たる労働力の売買であるという見方もできないわけではない。しかしながら、仮にそうだとしても、労働力というものは労働者という人間と不可分のものであつて、雇傭契約を物品たる商品の売買と完全に同一視し得ないことは当然のことである。即ち、使用者は雇傭契約関係を円滑に維持するためには職場秩序の維持を計らねばならず、そのためには労働者に対し一定の行為を命じあるいは特定の行為を禁ずることが必要となるのである。近代的企業にあつては雇傭契約関係も集団的となり、職場秩序の維持の必要は特に大である。しかして、職場秩序維持のためとして使用者が労働者に対してなす種々の指示ないしは命令は、それが合理的な理由を有し、且つ不当に労働者の人権を侵害しない限り、労働者において服従すべき義務があるとするのが雇傭契約の正当な解釈に適するものといわねばならない。

ところで、被告会社が集団的雇傭契約関係に支えられた近代的企業であることは弁論の全趣旨に徴し明らかなところである。そこで先ず、右就業規則第八条の規定が合理的な理由を有するかどうかについて考えてみる。被告会社のように電車、自動車等による陸上運輸業を営む企業においては、乗車賃がその収入の根幹をなすものであることは公知の事実であるが、成立に争いのない乙第一八号証によれば、右就業規則第八条の規定に基づく所持品検査の目的は、電車及び自動車の乗務員らによる乗車賃等の不正隠匿及び領得行為を防止ないしは摘発するにあることが認められ、又成立に争いのない乙第二一号証によりその原本の存在及び成立を認め得る乙第五号証の一ないし一一によると、昭和二六年度から同三四年度までの間に被告会社において発見された乗務員らによる乗車賃等の不正隠匿ないしは領得行為の件数は計一四九件であるが、そのうち七〇件が所持品検査によつて摘発されたこと、隠匿場所は着衣、鞄、靴等の中が目立つて多いこと、右期間中に被告会社において懲戒解雇処分を受けた人員は計四〇七名であるが、そのうち乗車賃等の不正隠匿ないしは領得行為を理由とするものは二三八名に上つたことが認められ、以上の各認定に反する証拠はない。このような被告会社の業種及び所持品検査の果たしている役割からみて、乗務員らに対する所持品検査は、被告会社にとつて不可欠のものであることが窺知できるので、これを拒んではならないとする右就業規則の定めは合理的な理由があるものというべきである。次に、このような所持品検査が不当に労働者の人権を侵害するものかどうかであるが、この点は当該検査の方法、実施時刻及び場所等について具体的に検討して決すべき問題であるところ、本件で問題となつた昭和三五年三月一一日実施の脱靴による靴の中の検査についてみると、前記認定のとおり、(I)予め所持品検査場として定められていた補導室において、乗車勤務終了直後の原告ら乗務員に対し実施されたものである。(II)同室を板敷きとしてその上で検査を行ない、被検査者がその上に上るときは自然に脱靴せざるを得ず、検査員がその場で一々脱靴の指示をしなくても靴の中の検査を行なうことができるような方法で行なわれた。(III)右方法は被告会社が被検査者の人権や感情の問題を慮つて考え出したものであるが、これについて被告会社は、事前に原告ら所属の組合の北九州支部との間で話し合いをしその実施について了解を得ていた。しかして、右支部は右方法による所持品検査の実施について機関紙をもつて所属組合員に周知させたが、原告も右検査当時これを了知していた。右(I)ないし(III)の点に加え、前掲乙第一五号証によれば、同日の検査員たる前記河内孝徳は、右検査直前に上司から靴の中の検査も実施するよう指示されると同時に行き過ぎや被検査者に対する感情刺激のないよう特に注意されたこと、しかして、右検査の際原告の感情を刺激しないように努めたことを認めることができ、この認定に反する証拠はない。以上の諸点からみれば、右の脱靴による靴の中の検査は、不当に原告の人権を侵害するものとはいえない。

そうすると、原告は右所持品検査に当たり脱靴して靴の中の検査を受けるべき義務があつたものといわなければならず、これをあくまで拒否した原告の前記行為は、明らかに就業規則第八条に違反するものとして違法たるを免れず、原告の前記主張は採用できない。

(二) 就業規則第五八条第三号該当性

前掲乙第一号証によれば、被告会社の就業規則第五八条には、「社員が次の各号の一つに該当するときは諭旨解雇又は懲戒解雇に処する。但し情状により出勤停止に止めることがある。」としてその第三号には、「職務上の指示に不当に反抗し又は越権専断の行為をなし職場の秩序を紊したとき。」と定められていることを認めることができ、同条号が本件懲戒解雇の根拠規定の一つとされたことは前記のとおりである。しかして、原告は、前記脱靴拒否の行為は同条号には該当しないと主張するので、この点について判断する。

先ず、同号の「職務上の指示」があつたかどうかについて考えてみる。前項で認定したように、被告会社の従業員たる者は、就業規則第八条に則つて実施される所持品検査については不当に人権を侵害するような場合でない限り受忍の義務があるのであるから、右受忍義務ある場合の従業員に対する会社の指示は、とりもなおさず右「職務上の指示」に該当するものということができる。ところで、前記脱靴拒否行為の際原告には右第八条により脱靴すべき義務があつたことは前項認定のとおりであり、その際上司から脱靴について指示があつたことも前記認定の脱靴拒否に至る経緯で明らかなところである。してみれば、前記脱靴拒否に際し、原告に対する右就業規則第五八条第三号にいわゆる「職務上の指示」はあつたものということができる。なお、原告は、この点に関し、右第五八条第三号は、その文言、趣旨からみて就労義務の正常な履行を確保するための服務規律のうち特に重要な職務秩序の違背に対する制裁を規定したものであつて、経営所属の財産確保のための服務規律たる右第八条違背の場合の制裁規定ではないから、同条による指示は右「職務上の指示」に該当しないと主張するが、右五八条第三号が右第八条違背の場合を除外するものであると解すべき合理的根拠はないので、右主張は採用しない。

しかして、前項までに認定した事実に徴すれば、原告の前記脱靴拒否行為は、右第五八条第三号のその余の要件たる職務上の指示に「不当に反抗し職場の秩序を紊した」場合に当たると解するのが相当である。

従つて、原告の右行為は、就業規則第五八条第三号に規定する懲戒事由に該当するので、これを否定する原告の前記主張は採用できない。

(三) 懲戒解雇処分の当否について

前項認定のとおり、就業規則第五八条には、「但し情状により出勤停止に止めることがある。」と定められているが、原告は、原告の前記脱靴拒否行為の就業規則違反の程度は極めて軽微であるのに、これをとらえて労働者にとつての極刑たる懲戒解雇の処分をしたのは右但書の解釈、適用を誤つたものであり、又懲戒権の濫用(裁量の誤り)でもあると主張するので、この点について考える。

原告の前記脱靴拒否行為の情状についてみると、(I)これまでに認定した事実関係によれば、原告の右行為は被告会社にとつて看過することのできない重大な秩序違反であることが窺知できる。即ち、被告会社の収入の根幹をなす乗車賃等について、乗務員らによる不正領得等の件数がかなり多く、その発見方法としては所持品検査が最も有効であるのに、原告の右行為を看過すれば、原告に対する所持品検査は有名無実と化してしまうのみならず、ひいては他の従業員にも累を及ぼし更には靴のみならずその余の所持品についてまで検査拒否の事態が生ずる虞れがあるのである。かくては被告会社の企業の維持は重大な支障を来たすこととなる。(II)前記のとおり、当日の脱靴による検査方法については、原告所属の組合の北九州支部で予め承認されており、原告も右方法による所持品検査が行なわれることやこれを右支部で承認していたことを知悉していたのみならず、証人坂本克己及び同木村健俊の各証言によれば、右検査の四、五日前に開かれた原告ら右支部所属の一部組合員で構成しているグループの会合において、右方法による所持品検査について討議が行なわれたが、その結果一応会社の指示に従つて脱靴することに話し合いができたことを認めることができ右認定に反する証拠はない。このような状況下において、あえて原告一人だけが前記のような言動で脱靴拒否に及んだことは、職場の規律を完全に無視したものというべきである。(III)前記認定のとおり、原告の脱靴拒否の態度は、検査員の度重なる説得にも拘らず極めて強固なものであつたのみならず、前掲乙第一八号証ないし第二〇号証、成立に争いのない乙第二二号証、第二三号証の一、二によれば、原告は、右行為の翌日である昭和三五年三月一二日に行なわれた到津電車営業所営業主任稲用正雄による事情聴取の際にも、靴は所持品ではない、靴まで検査することは基本的人権の侵害であるから労使協議会で決められたことであろうと労働協約に規定されていようと脱靴は拒否する、所持品検査に関する就業規則は知らない、今後も脱靴は拒否する等の趣旨のことを述べ、同主任の三時間余にわたる説得にもかかわらず、相変らず脱靴しないという態度を固執し続け、更に同月一五日行なわれた被告会社の事情調査に対しても誠実に調査に応じようとせず、終始反抗的態度を持ち続け反省の色がなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。(IV)ところで一方、右に掲げた乙第二二号証、第二三号証の一、二と証人西谷清美の証言を総合して考えると、右三月一五日の被告会社の調査は、会社側代表五人が原告一人に対して尋問をするという形で行なわれたものであるが、原告としては、その席上に組合の代表者を参加させなかつたことに不満を感じたことも一つの原因となつて前記反抗的態度に出たものであること、組合の代表者を参加させなかつたのは、被告会社の参加要請にも拘らずこれが右代表者らによつて拒否されたためであるが、原告には右拒否の事実は告げられなかつたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。しかして、右拒否の事実は当然原告に告知さるべきものであつて、この点において、被告会社にも原告の右反抗的態度についての一部の責任があつたものというべきである。

以上の外には情状として考慮に値するような事情の立証はない。ところで、右のうち(I)ないし(III)の事情を合わせ考えると、右(IV)のような点を考慮に入れても、原告の右脱靴拒否行為の情状は相当悪質といわねばならず、右行為に対してなされた本件懲戒解雇処分を不当ということはできない。してみれば、本件懲戒解雇処分は前記但書の適用を誤つたものであり、懲戒権を濫用したものでもあるとの原告の前記主張は採用することができない。

(四) 結論

以上の検討によれば、その余の争点について判断するまでもなく、本件懲戒解雇は有効であつて、原告は、右懲戒解雇の通告が原告に到達した昭和三五年七月二一日以降被告会社の従業員たる地位を失つたものといわねばならない。

第二、出勤禁止の効力について

被告が原告に対し、前記脱靴拒否行為を理由として昭和三五年三月一七日付で懲戒を前提とする出勤禁止の通告をし、右通告が同日原告に到達したこと、右出勤禁止処分は、右脱靴拒否の行為が労働協約第四七条に基づく出勤禁止に該当する事由に当たるとしてなされたものであることは、当事者間に争いがない。

ところで、原本の存在及び成立に争いのない乙第一四号証によれば、被告会社と組合間の労働協約第四七条第二項には、「懲戒を前提とした出勤禁止を行なつたときは、その日から二十日以内に組合に提案する。」と定められていることを認め得るが、又一方同号証によると、右労働協約第三二条には、「会社は、組合員が左の各号の一に該当するときは解雇する。一、業務上の傷病により休業する者に打切り補償を行つたとき。二、精神または身体の障害があるか、若しくは虚弱、老衰、疾病のため業務に耐えないと認められたとき。三、勤務状態が著しく不良なとき。四、諭旨解雇または懲戒解雇処分を受けたとき。五、前各号の他、已むを得ない必要があるとき。」と、同第三三条には、「前条第一号から第四号までの解雇は、労使協議会で決定する。但し、提案された日から四カ月を経過しても解決しないときは、会社は、これを解雇することができる。前項の期間内に組合が地方労働委員会または地方裁判所に提訴したときは、その期間中、従業員としての身分を保障する。前条第五号の解雇は、前二項の規定にかかわらず組合と協議決定する。」と、同第三七条には、「懲戒は、左の五種とする。一、譴責 始末書を提出させ将来を戒める。二、減給 始末書を提出させ減給する。但し、一回の額が基本給の一日分の半額以内で、総額が一賃金支払期間の基本給総額の十分の一以内とする。三、出勤停止 始末書を提出させ十日以内出勤を停止し、その期間に対しては賃金を支払わない。四、諭旨解雇 依願解雇扱いとし、退職金相当額を支払う。五、懲戒解雇」と、同第三八条には、「前条第一号から第三号までの懲戒処分は、支部労使協議会で決定する。第四号及び第五号の懲戒処分は、第三十三条による。」と、それぞれ定められていることを認めることができる。右第三二条、第三三条、第三七条及び第三八条の各規定の趣旨を合わせ考えると、右第四七条第二項の規定は、懲戒処分の対象となる疑のある事由が発生した場合、所定の手続を経て懲戒処分の決定があるまで、当該従業員の出勤を禁止し得ることをも定めた趣旨のものと解釈することができ、右解釈を左右するような証拠はない。しかして、原告の右脱靴拒否行為は、前段までの判示によれば、明らかに懲戒処分の対象となる事由であるから、これを理由とし右労働協約の条項に則つてなされた本件出勤禁止処分は、有効なものということができる。

第三、賃金について

前段までに検討のとおり、本件懲戒解雇及びそれに先立つ出勤禁止の各処分は、いずれも有効なものである。従つて、右解雇が効力を生じた昭和三五年七月二一日以降においては、原告は、被告会社の従業員たる地位を失うと同時に当然賃金請求権も失うこととなるが、右出勤禁止処分がなされた同年三月一七日から右解雇の効力発生の日まで、即ち出勤禁止期間中の賃金請求権の有無及び額については、若干の検討を必要とするので、次にこの点について考察する。

一、出勤禁止期間中の賃金について

(一) 被告会社においては、原告のように労働協約第四七条に則つて出勤禁止処分を受けた者に対してはその期間中同第一五八条によつて平均賃金の一〇〇分の六〇を保障されることになつていること、その支払日及び計算期間については明文の定めがないので、この点は同第一二八条第一号後段の「日額で定められている者」についての規定を準用するのが従来からの慣行であつたことは、当事者間に争いがない。しかして、前掲乙第一四号証によれば、右労働協約第一五八条には、「会社が第四十七条にもとづいて組合員の出勤または就業禁止をしたときは、その期間中、平均賃金の百分の六十を保障する。」と定められていること、又同第一二八条には、「賃金の計算期間及び支払日は、左の通りとする。但し、支払日が休日に当る場合は、その前日とする。」とあり、その第一号には基準賃金について、「基本給が月額で定められている者は、その月分を、日額で定められている者は、前月十一日からその月十日までの分を毎月二十三日に支払う。」と規定されていることを、それぞれ認めることができる。ところで、右にいわゆる平均賃金の意義は、労働基準法第一二条所定の平均賃金を指すものと解釈するのが相当である。

(二) そこで次に、右の原則に基づいて原告の平均賃金を算定してみる。

(1) 労働基準法第一二条第一項所定の、「算定すべき事由の発生した日」とは、前記の昭和三五年三月一七日である。しかして、右日以前原告が月給者として労働協約第一二七条及び第一二八条に基づき毎月二三日にその月分の基準賃金即ち基本給及び家族給と前月一一日からその月の一〇日までの分の基準外賃金即ち時間外労働手当、休日労働手当、深夜業手当等の支払いを受けていたことは、当事者に争いがなく、なお、前掲乙第一四号証によると、右の労働協約第一二七条には、「賃金体系は左の通りとする。」として、右のような内容の基準賃金及び基準外賃金を列記していること、同第一二八条第一号は前記のとおりであるが、同第二号には基準外賃金について、「前月十一日からその月十日までの分を毎月二十三日に支払う。」と規定してあることを認め得る。

してみれば、本件は、労働基準法第一二条第二項の「賃金締切日」がある場合に該当するところ、同項所定の「直前の賃金締切日」は、右の事実関係に徴すれば、基準賃金については同年二月末日、基準外賃金については同年三月一〇日ということになる。

(2) 右のように、賃金の種類によつて締切日を異にする場合には、締切日を同じくする賃金毎にそれぞれ別個に労働基準法第一二条所定の算出を行ない、その合算額をもつて同条の平均賃金とするのを相当と解する。

ところで、前記基準賃金についての同条所定の三ケ月の期間は、昭和三四年一二月一日から同三五年二月末日までとなり、右期間の総日数は九一日(同三五年は閏年)である。しかして、成立に争いのない乙第三〇号証の一と証人橋本尚行の証言によれば、右期間内に支払われた基準賃金月額は金一八、八〇〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はないので、右期間に原告に支払われた基準賃金総額は右金額に三を乗じた金五六、四〇〇円である。そうすると、基準賃金についての同条所定の平均賃金は、右金五六、四〇〇円を九一で除した金六一九円七八銭となる。

又前記基準外賃金についての同条所定の三ケ月の期間は、同三四年一二月一一日から同三五年三月一〇日までとなり、右期間の総日数は九一日である。しかして、右に掲げた各証拠によると、右期間に支払われた基準外賃金は、同三四年一二月一一日から同三五年一月一〇日までの分金九、〇三八円、同月一一日から同年二月一〇日までの分金七、四二五円、同月一一日から同年三月一〇日までの分金四、五七九円、総額金二一、〇四二円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そうとすれば、基準外賃金についての同条所定の平均賃金は、右金二一、〇四二円を九一で除した金二三一円二三銭となる。

よつて、原告の同条による平均賃金は、右各賃金についての平均賃金の合算額である金八五一円一銭である。

(3) なお、原告は、昭和三五年四月に被告会社の全従業員に対する定期昇給が行なわれたから、右昇給分を平均賃金に算入すべきであると主張する。しかしながら、成立に争いのない乙第三一号証と証人橋本尚行の証言を合わせ考えると、原告主張の頃その主張のような昇給が行なわれたことは事実であるが、右昇給の時期については、月給者は同年四月一日、日給者は同年三月一一日発令とされていることが認められ右認定に反する証拠はないので、この点においてすでに右昇給は原告の平均賃金の算出に影響なきものというべきである。何となれば、もともと労働基準法所定の平均賃金は、算定事由の発生した日ないしはその直前の賃金締切日以前三ケ月間に当該労働者に対し現実に支払われ又は支払われることが確定した賃金に基づいて算定さるべきものであり、右期間後に昇給があつても、それが右期間に遡つて適用される場合でない限り影響を及ぼすべきものではないところ、右発令の時期は原告の平均賃金算定についての前期基準期間に遡らないからである。従つて、原告の右主張は採用しない。

(三) 右平均賃金の一〇〇分の六〇は、金五一〇円六〇銭となるので、結局出勤禁止期間中原告は、毎月二三日に右金額に前月の一一日から当月の一〇日までの日数を乗じた金額の支払いを受ける権利があつたものということができる。

二、被告会社の支払額の検討

被告会社が、原告に対し、前記出勤禁止期間中、出勤禁止者に対する被告会社の前記のような一般的取扱い例に従つて、平均賃金の六〇%を保障するという取扱い方をしたことは、当事者間に争いがなく、前掲乙第三〇号証の一と証人橋本尚行の証言によれば、右の平均賃金の六〇%は、日額金五一〇円六二銭の割合で、右期間中毎月所定の日に原告に支払われたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

三、結論

以上の検討によれば、出勤禁止期間中原告に対して支払わるべき金額はすべて支払済みであるということができるので、結局原告の被告に対する賃金支払請求権は全然存在しないことになる。

第四、結語

よつて、原告の被告に対する本訴請求は、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 江崎弥 諸江田鶴雄 伊藤邦晴)

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